ぶしどうマネジメントの指針集 『論語』より

参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

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「子曰く、古は民三疾あり。今や或いは是れ亡し。古の狂や肆、今の狂や蕩。古の矜や廉。今の矜や忿戻。古の愚や直。今の愚や詐のみ。」

読み方「し いわく、いにしえは たみ さんしつ あり。いまや あるいは これ なし。いにしえの きょうや し、いまの きょうや とう。いにしえの きょうや れん。いまの きょうや ふんれい。いにしえの ぐや ちょく。いまの ぐや さ のみ。」

(意味)孔子はいう。昔は人に性質の偏った三つのやまいがあったが、今はこれも無くなったのだろう。昔は志願のはなはだ高いのを狂と言い、小さいことにこだわらなかったが、今の狂はただほしいままにして礼義に外れるばかりだ。昔の己を曲げないのを矜と言い、ただ角があるだけだったが、今の矜は人と和せず、相争うに至る。昔の道理に暗いのを愚と言い、心に思うことをただ言うに過ぎなかったが、今の愚は詐欺である。

→ 志がばか高く、角があり、思ったことを言う。

これらは性質上の問題だが、まだ質がよいのだ。世の中の害とは決められない。

しかし、ただ害にしかならない性質を持つ者が増えている。自分をチェックしよう。






「子曰く、『予言う無きを欲す。』子貢曰く『子如し言わざれば則ち小子何をか述べん。』子曰く『天何をか言うや。四時行われ、百物生ず。天何をか言うや。』」

読み方「し いわく、『よ いう なきを ほっす。』しこう いわく『し もし いわざれば すなわち しょうし なにをか のべん。』し いわく『てん なにをか いうや。しじ おこなわれ、ひゃくぶつ しょうず。てん なにをか いうや。』」

(意味)孔子がいうには、「私はもう言語で教えるのをやめようと思う。」と。子貢が「先生がもし言語をお使いにならなければ、私たち弟子たちは、どのようにして教えを伝えましょう。」といった。孔子は「天は何か言うか。何も言わないが、春夏秋冬の四季はめぐり、鳥獣草木等の百物は発生してやまない。天は何も言わないではないか。」と。

→ 言葉で伝えられることは限られる。

天は何も言わず、ただ自然現象によって教えるのみである。

人は自分の行動を高めることで、人に教えることができるはずだ。言葉は二の次。






「孺悲孔子を見んと欲す。孔子辞するに疾を以てす。命を将う者戸を出づ。瑟を取って歌い、之をして之を聞かしむ。」

読み方「じゅひ こうしを みんと ほっす。こうし じするに しつを もってす。めいを おこなう もの こを いづ。しつを とって うたい、これを して これを きかしむ。」

(意味)孺悲が孔子に面会を求めに来た。孔子は病気だといって断った。取次ぎの者が戸口を出ると、孔子はただちに大きな琴を弾いて歌った。この歌によって、病気でないことを気づかせ、罪を悟らせようとしたのだ。

→ 間違った者に、ただ冷たくするだけでは教育にならない。

孔子は、自身の行動によってなんとか教えようとしているのである。

人は言葉で教えると考えない。考えさせることが教育なのだ。






「子曰く、飽食終日心を用うる所なくば、難いかな。博奕なる者あらずや。之を為すは猶已むに賢れり。」

読み方「し いわく、ほうしょく しゅうじつ こころを もちうる ところ なくば、かたいかな。ばくえきなる もの あらずや。これを なすは なお やむに まされり。」

(意味)孔子がいうには、飽きるまで食べて終日心を用いることがなければ、徳に進もうとしても難しいことだ。双六や囲碁というものがあるではないか。これをするのさえ、心を用いないよりはまさっているのである。

→ 心を用いないことがいかにひどいことかを言っているのだ。

心を用いてこそ、人間である。

知識を学ぶことは心を用いているとは言えない。その知識を現実に適応してこそ心が働く。






「子路曰く『君子は勇を尚ぶか。』子曰く『君子は義を以て上と為す。君子勇ありて義なければ乱を為す。小人勇ありて義なければ盗を為す。』」

読み方「しろ いわく『くんしは ゆうを とうとぶか。』し いわく『くんしは ぎを もって じょうと なす。くんし ゆう ありて ぎ なければ らんを なす。しょうじん ゆう ありて ぎ なければ とうを なす。』」

(意味)子路が「君子は勇をとうとぶか。」と質問した。孔子がいうには「君子はただ義をとうとぶのだ。君子にただ勇だけあって、為すべきことを為すという義が無ければ、乱を為す。小人にただ勇だけあって義が無ければ、盗みを犯す。」と。

→ 道理に合っているかいないかを判断し、正しい方を選択するという「義」。

これが無ければ、勇気があると、乱や盗を為すのみとなってしまう。

まずは、「義」を心に持つことが大切だ。






「子貢曰く、『君子も亦悪むことあるか。』子曰く、『悪むことあり。人の悪を称する者を悪む。下流に居て上をそしる者を悪む。勇にして礼なき者を悪む。果敢にして窒がる者を悪む。』」

読み方「しこう いわく、『くんしも また にくむ こと あるか。』し いわく、『にくむ こと あり。ひとの あくを しょうする ものを にくむ。かりゅうに いて かみを そしる ものを にくむ。ゆうにして れい なき ものを にくむ。かかんにして ふさがる ものを にくむ。』」

(意味)子貢が「君子も人をにくむことがありますか。」と質問した。孔子がいうには「にくむことはある。他人の悪事をとなえる者をにくむ。悪を隠してやらず、仁心が厚くないから。下位にいて上をそしる者をにくむ。忠敬の心が無いから。勇があって礼の無い者をにくむ。血気に任せて上を犯すから。思い切りよく進んで道理に通じない者をにくむ。己の心にまかせてみだりに行うから。」と。

→ 私欲に発する憎悪ではない。

社会を悪くするような行いをにくんでいるのである。

公憤を感じなければ真のリーダーではない。おかしいことは正そう。





「曰く、『賜も亦悪むことあるか。』『徼うて以て知と為す者を悪む。不孫にして以て勇をなす者を悪む。訐いて以て直となす者を悪む。』」

読み方「いわく、『しも また にくむ こと あるか。』『うかごうて もって ちと なす ものを にくむ。ふそんにして もって ゆうを なす ものを にくむ。あばいて もって ちょくと なす ものを にくむ。』」

(意味)孔子が「賜(子貢の名)も人をにくむことがあるか。」と質問した。「人の様子をうかがってさとり知だとする者をにくみます。上を犯すような不遜なことをして勇だとする者をにくみます。他人の秘密をあばいて直だとする者をにくみます。」と。

→ 知・勇・直、ともにすばらしい徳目である。

ところが、その本質を理解せず、悪事を行って知・勇・直だとする者がいる。

現代にも多く見られることだ。よく自分を省みなければならない。






「子曰く、唯女子と小人とは養い難しとなす。之を近づくれば則ち不孫に、之を遠ざくれば則ち怨む。」

読み方「し いわく、ただ じょしと しょうじんとは やしないがたしと なす。ちかづくれば すなわち ふそんに、これを とおざくれば すなわち うらむ。」

(意味)孔子がいうには、ただ女子と小人とは養い難いものである。恩愛を用いてこれを近づければ不遜になり、威厳を用いてこれを疎遠にすれば怨んでわが用をしなくなる。」と。
※ここでいう女子は、女中やめかけのことだと宇野哲人先生は言う。

→ 徳の低い者は、養い難いのは確かである。

しかし、そう言うならば、現代人のほとんどは徳が低いので養い難いということになる。

それを大前提として、リーダーが自身を磨き上げるしかない。






「子曰く、年四十にして悪まるれば、其れ終らんのみ。」

読み方「し いわく、とし しじゅうにして にくまるれば、それ おわらんのみ。」

(意味)孔子がいうには、40歳にもなって君子からにくまれるような人は、一生涯進歩無しに終ってしまうばかりだ。

→ 孔子は40歳のとき、道が明らかになり、迷うことが無くなった。「不惑」だ。

その40歳の時点で、徳の高い人物からにくまれるようでは進歩は無いだろうという。

できるだけ早いうちから、思想を高めることに努めよう。



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