ぶしどうマネジメントの指針集 『論語』より

参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

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「子遊曰く、『子夏の門人小子、洒掃応対進退に当れば則ち可なり。抑末なり。之を本づくれば則ち無し。之を如何。』子夏之を聞いて曰く、『噫、言遊過てり。君子の道、孰れを先として伝え、孰れを後として倦まん。諸を草木の区にして以て別るるに譬う。君子の道、焉んぞ誣うべけん。始めあり卒りある者は其れ惟聖人か。』」

読み方「しゆう いわく、『しかの もんじん しょうし、さいそうおうたいしんたいに あたれば すなわち かなり。そもそも すえなり。これを もとづくれば すなわち なし。これを いかん。』しか これを きいて いわく、『ああ、げんゆう あやまてり。くんしの みち、いずれを さきと して つたえ、いずれを のちと して うまん。これを そうぼくの くに して もって わかるるに たとう。くんしの みち、いずくんぞ しうべけん。はじめ あり おわり ある ものは それ ただ せいじんか。』」

(意味)子遊がいうには、「子夏の門人、弟子たちを観ると、水をまいて掃除をしたり、賓客の応対、進退の作法をするに当ってはよく行っている。しかし、これらは末事だ。道の大本を尋ねると全くできていない。これをどうしてよいと言われようか。」子夏がこれを聞いていうには、「ああ、言遊(言は子遊の姓)の言うことは過っている。君子が人を教えるには順序がある。本末のいずれを先として教えようとし、いずれを後として教えるのを倦むのでもない。たとえば、草木の大小の種類によってわけて、それぞれにふさわしい手当てをするようなものだ。君子が人を教える道はどうして、教えを受ける者の程度を考えず、教える順序を定めないで教え、門人達の目をくらませてよかろうか。順序を考えずに本末を教えてよいのは、聖人のみである。

→ 相手によって教え方を変えなければならぬ。

社員にもさまざまなレベルがある。例えば新入社員には、行動レベルから教えるのが基本だ。

いきなり難しいことを教えても身につかない。考えて教えよう。






「子夏曰く、仕えて優なれば則ち学び、学んで優なれば則ち仕う。」

読み方「しか いわく、つかえて ゆうなれば すなわち まなび、まなんで ゆうなれば すなわち つかう。」

(意味)子夏がいうには、仕えて位にある者は、もし余力があれば学んで事物の理を明らかにして仕えの補助とし、学びの途中の者は、もし余力があれば出て仕え学んだことを使うものだ。

→ 今すべきことに集中しよう。

会社の仕事を中途半端にして自分の勉強ばかりするのは不忠である。

学生がアルバイトにばかり精を出すのもいけない。






「子貢曰く、君子の過ちや、日月の食の如し。過つや人皆之を見る。更むるや人皆之を仰ぐ。」

読み方「しこう いわく、くんしの あやまちや、じつげつの しょくの ごとし。あやまつや ひと みな これを みる。あらたむるや ひと みな これを あおぐ。」

(意味)子貢がいうには、君子の過ちは日食や月食のようである。過ってもかざったり隠したりしないから、人が皆これを見る。あらためると、人が皆これを仰ぎ慕う。

→ 一度欠けても、また復活するのが日食や月食だ。

間違ったとき、言いつくろったり、隠したりしないようにしよう。

そうすれば、復活も早いし、より大きな成果を収めることができる。





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