ぶしどうマネジメントの指針集 『論語』より

参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

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「譬えば山を為るが如し。未だ成らざること一簣にして、止むは吾が止むなり。譬えば平地の如し。一簣を覆すと雖も、進むは吾が往くなり。」

読み方「たとえば やまを つくるが ごとし。いまだ ならざる こと いっきに して、やむは わが やむなり。たとえば へいちの ごとし。いっきを くつがえすと いえども、すすむは わが ゆくなり。」

(意味)例えば高い山をつくる者のようだ。山が未だにできないのは、一かごの土を自分が運ばないからだ。例えば、平地に一かごの土をひっくり返す者のようだ。自分で進んでやっているのだ。

→ 人間は、すべて自分で決めている。

進むのもやめるのも、自分の決断だ。

やめるのはたやすいが、やめれば過去に積み上げたものは崩れ去る。一歩でも進もう。






「之に語げて惰らざる者は、其れ回なるか。」

読み方「これに つげて おこたらざるものは、それ かい なるか。」

(意味)道を告げればきちんと行って惰らないものは、顔回だけであろう。

→ 人にもっともなことを言われて、きちんとやる人は少ない。

やれば前に進むとわかっているのに。

つまり、それだけのことをやれば、人に秀でることができる。己を叱咤しよう。






「子、顔淵を謂いて曰く、惜しいかな。吾其の進むを見る。未だ其の止まるを見ず。」

読み方「し、がんえんをいいていわく、おしいかな。われそのすすむをみる。いまだそのとどまるをみず。」

(意味)孔子がすでに亡くなった顔淵を評していわれるには、「本当に惜しいことだった。彼が道に向かって進むのを見たが、まだ中途で止まったのを見たことが無かった」。

→ 脅威を感じるのは、高いレベルにある人ではない。

自分よりレベルが低くても、絶えず伸び続けている人である。

努力を欠かさない人は、無限の可能性をもっている。自分がそうなろう。






「苗にして秀でざる者あるかな。秀でて実らざる者あるかな。」

読み方「なえに して ひいでざる もの あるかな。ひいでて みのらざる もの あるかな。」

(意味)穀物の苗にはよく花の咲かないものがある。花は咲くけれどもよく実がならない者がある。

→ 美しい天分がありながら学ぶことができない者、学びながら人格を完成できない者がある。

それでは、残念ながら大成はできない。

天分に気づき、それを磨いて、開花させ、実らせるようにしよう。






「後生畏るべし。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞ゆるなきは、これ亦畏るるに足らざるのみ。」

読み方「こうせい おそるべし。いづくんぞ らいしゃの いまに しかざるを しらんや。しじゅう ごじゅうに して きこゆる なきは、これ また おそるるに たらざるのみ。」

(意味)自分よりもあとに生まれた少年は誠におそろしい。どうして将来彼らが、私の今に及ばないと知られようか。それに対し、四十、五十にもなってその道徳が世間に聞こえない人物は、おそれるに足りない。

→ 年をとってから、その人徳のすばらしさが人の口に上らないようではダメだ。

おおいに反省しなければならない。

いかに自分が自分のことばかりを考えてきたかを振り返り、少しでも人のために実践しよう。






「法語の言は能く従うことなからんや。之を改むるを貴しと為す。巽与の言は能く説ぶことなからんや。之を繹ぬるを貴しと為す。説んで繹ねず、従って改めずんば、吾之を如何ともすることなきのみ。」

読み方「ほうごの げんは よく したがう こと なからんや。これを あらたむるを とうとしと なす。そんよの げんは よく よろこぶ こと なからんや。これを たづぬるを とうとしと なす。よろこんで たづねず、したがって あらためずんば、われ これを いかんとも する こと なき のみ。」

(意味)人の法とするところを述べる言葉は、ただ従っただけでは何にもならない。これによって己の過ちを改めるのが貴いのである。おだやかに人の過失を言う言葉は、ただよろこんでいるだけでは何にもならない。その真意を尋ねてこそ貴いのである。よろこんで尋ねず、従って改めなければ、私はこの人をどうすることもできないのだ。

→ 他人の言葉を聞いて、自分を成長させる方法だ。

ただ聞き流しているだけでは、せっかくの行動改善の機会を失ってしまう。

よいと思ったらすぐに改める体質に、己を変えよう。






「三軍は帥を奪うべし。匹夫は志を奪うべからず。」

読み方「さんぐんは すいを うばうべし。ひっぷは こころざしを うばうべからず。」

(意味)三軍(一軍は1万2千5百人)の中心は大将だが、これは衆人の上に立つものだから奪うことができる。しかし一人の人間の中心である志はその人間の中にあるので、奪うことはできない。

→ 人間の意志を決めることができるのは、その人間だけである。

どんな人生を歩むかは、その人の自由だ。

今の自分は、すべて今までの自分の決断の結果である。






「歳寒うして然る後松柏の彫むに後るるを知る。」

読み方「とし さむう して しかる のち しょうはくの しぼむに おくるるを しる。」

(意味)寒くなって後に初めて、松や柏が後までしぼまないことがわかる。

→ 平時には君子も小人もわからないが、混乱時にははっきりと区別ができる。

問題発生時にどのように対応するか、それによって真価がわかるのだ。

しかしそれは、平生の過ごし方によって決まる。常に己を磨こう。






「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。」

読み方「ちしゃは まどわず、じんしゃは うれえず、ゆうしゃは おそれず。」

(意味)知者は道理を熟知しているから惑わない。仁者は道理に従っていて私欲が無いから憂えない。勇者は気が大きく強いから懼れることがない。

→ 新渡戸稲造によると、武士は特にこの3つの徳を重視したそうだ。

まず道理を知ることから始まり、次に知ったことを実践する。

自分の身に危険が迫っても、勇気を出して実践するのが武士である。覚悟を決めよう。






「与に共に学ぶべし。未だ与に道に適くべからず。与に道に適くべし。未だ与に立つべからず。与に立つべし。未だ与に権るべからず。」

読み方「ともに ともに まなぶべし。いまだ ともに みちに ゆくべからず。ともに みちに ゆくべし。いまだ ともに たつべからず。ともに たつべし。いまだ ともに はかるべからず。」

(意味)己の人格を完成する意志があるならば、これと共に学ぶことができる。しかし、同じように真の道を進み求めるとは限らない。あるいは同じく真の道を進み求めるかもしれないが、この道を同じように守って変わらないということはできない。あるいは同じく守って変わらずにいることができるかもしれないが、同じように事変に応じて中正の道に外れないような処置をとることはできない。

→ 最高レベルは、中正(偏らず正しい)の道を行けることである。

1つの考え方に固執してしまってはいけない。

常に答えが一定不変ということは無い。世の中そのものが変化し続けているのだから。






「『唐棣の華、偏として其れ反せり。豈に爾を思はざらんや。室是れ遠ければなり。』子曰く、『未だ之を思はざるなり。夫れ何の遠きことか之あらん。』」

読み方「『とうていのはな、へんとしてそれはんせり。あになんぢをおもわざらんや。しつこれとおければなり。』しいわく、『いまだこれをおもわざるなり。それなんのとおきことかこれあらん。』」

(意味)古詩に「スモモの花がひらひら動いているところを見ると、どうしてあなたを思わないことがあろうか。ただ居る室が遠いので、思っても相見ることができないのだ。」とあるが、孔子が評して曰く、「この作者はまだ思っていないのだ。もし切に思うならば何で遠いことがあろうか。本当に思うなら得られるのだ。」と。

→ 思いの深さには段階がある。

実現できないのは、すべて思いが足りないのだ。

すべてのことは、どれくらい本気で思うかにかかっている。






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