ぶしどうマネジメントの指針集 『論語』より

参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

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「子曰く、『由の瑟、奚ぞ丘の門に於てするをなさん。』門人子路を敬せず。子曰く、『由や堂に昇れり、未だ室に入らず。』」

読み方「し いわく、『ゆうの しつ、なんぞ きゅうの もんに おいて するを なさん。』もんじん しろを けいせず。し いわく、『ゆうや どうに のぼれり、いまだ しつに いらず。』」

(意味)孔子がいうには、「由(子路)の瑟(25弦の楽器)の音は殺伐としている。どうして私の門下でひくことができようか。」と。それで、他の門人が子路を尊敬しなかった。孔子がいわれるには、「由はすでに表座敷に上がっているのだ。まだ奥座敷に入っていないだけだよ」と。

→ 孔子は、子路に対して厳しい態度で臨んでいる。

しかし、門人がそれを表面的に受け止めたので、教育の奥の深いところを示したのだ。

短所を責めるときは、長所をもよく理解しておくことが必要だ。






「子貢問う、『師と商とは孰れか賢れる。』子曰く、『師は過ぎたり、商は及ばず。』曰く、『然らば則ち師愈るか。』子曰く、『過ぎたるは猶及ばざるが如し。』」

読み方「しこう とう、『しと しょうとは いづれか まされる。』し いわく、『しは すぎたり。しょうは およばず。』いわく、『しからば すなわち し まさるか。』し いわく、『すぎたるは なお およばざるが ごとし。』」

(意味)子貢が、「師(子張)と商(子夏)とは道を修める上でどちらがまさっていますか」と質問した。孔子がいうには、「師は過ぎている。商は及ばない。」と。子貢は「ならば師の方がまさっているということですね」と重ねて問うと、孔子は「過ぎたのは及ばないのと同じようなものだ」と答えた。

→ なにごとも中庸が大切だと孔子は言っている。

働くのはいいが、働きすぎはダメ。勉強するのはいいが、勉強のし過ぎはダメ。

中庸を得るには、TPOに合わせた状況判断力を身につけることが必要だ。






「季子周公より富めり。而して求や之が為に聚斂して之を附益す。子曰く、『吾が徒に非ず。小子鼓を鳴らして之を攻めて可なり。』」

読み方「きし しゅうこうより とめり。しかして きゅうや これが ために しゅうれんして これを ふえきす。し いわく、『わが とに あらず。しょうし つづみを ならして これを せめて かなり。』」

(意味)大夫の季子は王室の近親で宰相である周公よりも富んでいる。(悪事で富を集めていると思われる)しかるに孔子の弟子の冉求(ぜんきゅう)は季子のために重税を課して富を増している。孔子がいうには、「冉求はもう私の弟子ではない。君ら弟子たちは、太鼓を鳴らして彼を責めてよい」と。

→ 孔子は、弟子ではないと言いながら、更正する機会を作っているのだ。

自分の非に気づくように仕向けている。

教育者は決して人間を見捨てることはしない。






「子曰く、回や其れ庶きか。シバシバ空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ちシバシバ中る。」

読み方「し いわく、かいや それ ちかきか。しばしば むなし。しは めいを うけずして かしょくす。おもんぱかれば すなわち しばしば あたる。」

(意味)孔子がいうには、回(顔淵)は道に近い。しばしば飲食がなくなるが(楽しんでいる)。賜(子貢)は天命にしたがわずに常に財産を増やしている。しかし、よくおもいはかって道理にあたることが多い。

→ 食べ物が無くなっても楽しんでいられるほどであれば、何者も顔淵を動かせない。

天命を楽しむという心境なのだろう。それが最も道に近い状態だ。

子貢は天命にさからい、口舌で生きている。どこか、私たち現代人に似ている。






「子張善人の道を問う。子曰く、迹を践まず。亦室に入らず。」

読み方「しちょう ぜんにんの みちを とう。し いわく、あとを ふまず。また しつに いらず。」

(意味)子張が善人の道を質問した。孔子がいうには、善人は聖賢の道を行わないけれども自然に道理にかなった行いをする。しかし、聖賢の道の奥義には達しない。

→ ただ「よい人」というのは、生まれながらに悪事は行わない。

しかし、それだけのことで、周囲へよい影響を与え社会を変えるほどの力は無い。

そのレベルに達するには、やはり道を学び、実践することが必要だ。






「子曰く、論篤に是れ与せば、君子者か、色壮者か。」

読み方「し いわく、ろんとくに これ ゆるせば、くんししゃか、しきそうしゃか。」

(意味)孔子がいうには、言論が篤実であることから、その人物が篤実であるとするならば、本当の君子か、表面だけをかざる人物であるかを見極めることはできない。

→ 口や文章がすばらしい人はたくさんいる。

しかし、それがその人自身の日々の行動を表したものであるとは限らない。

言動が一致している姿を目指そう。そうすれば、第一級の人物から信頼が得られる。






「子曰く、『求や退く、故に之を進む。由や人を兼ぬ、故に之を退く。』」

読み方「し いわく、『きゅうや しりぞく、ゆえに これを すすむ。ゆうや ひとを かぬ、ゆえに これを しりぞく。』」

(意味)(弟子から、「人から善いことを聞いたらすぐにこれを行ってよいか」と問われたとき、孔子が相手によって答えが違うので、その理由を問われて)孔子がいうには、「求は、ひっこみ思案の男だから、これを進めて行うようにさせたのだ。由は勇気まんまんでやり過ぎる傾向があるので、(父兄に相談せよと言って)抑えたのである。」と。

→ 同じ質問でも、誰の問いかで答えが変わる。

理由は、その相手を育てることが目的であり、通り一遍の知識を授けることではないからだ。

世の中に、「絶対こうすべき」ということは無い。






「子匡に畏す。顔淵後る。子曰く、『吾女を以て死せりとなす。』曰く、『子在す。回何ぞ敢えて死せん。』」

読み方「し きょうに いす。がんえん おくる。し いわく、『われ なんぢを もって しせりと なす。』いわく、『し います。かい なんぞ あえて しせん。』」

(意味)孔子が匡人に囲まれて警戒したとき、顔淵は孔子を見失い、後れてしまった。孔子がいうには、「私はお前が匡人の手で死んだと思っていた。生きていてよかった。」と。顔淵は、「先生が生存してご無事なのに、私が死ぬことはありえません。」と言った。

→ 顔淵は、どんな時どんな場合も、師である孔子と共にあることを示したのだ。

これは、顔淵の決意の現れである。

どんなに大きな危険が身に迫っても、生きなければならないときは、生きるのだ。






「子路、子羔をして費の宰とならしむ。子曰く、『夫の人の子を賊う。』子路曰く、『民人あり。社稷あり。何ぞ必ずしも書を読みて然る後に学となさん。』子曰く、『是の故に夫の佞者を悪む。』」

読み方「しろ、しこうを して ひの さいと ならしむ。し いわく、『かの ひとの こを そこなう。』しろ いわく、『みん じん あり。しゃしょく あり。なんぞ かならずしも しょを よみて しかる のちに がくと なさん。』し いわく、『この ゆえに かの ねいしゃを にくむ。』」

(意味)子路が(季氏に仕えたとき)、相弟子の子羔を費という領地の代官にした。孔子がいうには、「まだ学問の足りない子羔をあの治め難い費の代官にすれば、己の修養もできず、人もうまく治められないだろう。」と。子路は、「民人を治め神を祭ることも学問です。書物を読むばかりが学問ではありません。」。孔子は「このように口先で人に勝とうとするから、私は口の上手な人を憎むのだ。気をつけなさい。」と言った。

→ 自分では自分の過ちをうすうす感じていながら、口では正しいと言い張ることがよくある。

これは、口の達者な人ほど陥りやすい。言いくるめて勝利の美酒に酔うからだ。

言葉を慎む姿勢を身につけよう。自分の為に。







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