ぶしどうマネジメントの指針集 『論語』より

参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

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「天徳を予に生ぜり。桓タイそれ予をいかんせん。」

読み方「てん とくを われに しょうぜり。かんたい それ われを いかんせん。」

(意味)天が私に徳を賜る以上は、桓タイがいかに凶暴な男であるといっても、私をどうすることもできない。

→ 徳を身につけるということは、天の協力者となったことを示す。

そうすれば、人の力でその天の協力者を滅ぼすなどということは不可能なのだと。

この世の法則である天の意思に従って徳を身につければ、何も恐れることは無いのだ。






「二三子、我を以て隠せりとなすか。吾爾に隠すことなし。吾行うとして二三子に与さざる者なし。是丘なり。」

読み方「じさんし、われを もって かくせりと なすか。われ なんぢに かくす こと なし。われ おこなうと して じさんしに しめさざる もの なし。これ きゅうなり。」

(意味)諸君、私が何か隠しており教えていないとでも思っているのか。私は諸君に何も隠していない。私の行動の中に諸君に示さないものは無い。これが私だよ。

→ 行動そのものが一番の教えである。

昔の職人は目で見て盗めと言われたが、実は言葉で教えるよりもその方がよく伝わるのだ。

教わっていないと感じるのは、よく観察していないからである。






「子、四を以て教う。文・行・忠・信。」

読み方「し、よつを もって おしう。ぶん・こう・ちゅう・しん。」

(意味)孔子は4つのことで人を教えた。それは、文を学ぶこと、学んだことを実行すること、まごころを尽くすこと、偽りの無いことである。

→ 門人から見たら「そう見えた」のであって、孔子が4つの分野に分けていたわけではないらしい。

しかし、弟子からの視点も重要だ。孔子の言葉と考え合わせれば真実がわかってくる。

この4分野は、現代のどの道でもあてはまる。会社経営もこの通りだ。






「聖人は吾得て之を見ず。君子を見るを得ば斯れ可なり。善人は吾得て之を見ず。恒ある者を見るを得ば斯れ可なり。亡くして有りと為し、虚しくして盈てりとなし、約にして泰なりと為す。難いかな恒あること。」

読み方「せいじんは われ えて これを みず。くんしを みるを えば これ かなり。ぜんじんは われ えて これを みず。恒 ある ものを みるを えば これ かなり。なくして ありと なし、むなしく して みてりと なし、やくに して たいなりと なす。かたいかな つね ある こと。」

(意味)古の堯・舜のような聖人は私はとうていこれを見ることはできない。衆人の中に君子を見ることができればそれでよい。仁に志している善人は私はとうていこれを見ることはできない。常に変わらない人を見ることができればそれでよい。今の人は、無いのに有るとし、虚しいのに満ちているとし、貧しいのに安泰な風をする。常に変わらないのは難しいことだ。

→ 聖人・善人になるには、まず君子や、恒ある者のレベルになることが必要だ。

恒あるとは、豊かさが常に変わらずあることで、物心両面のことを指すのであろう。

心はハイエナのようでありながら、そうでないフリをしている人がかなり多いことを嘆いているのだ。






「子、釣して網せず、弋して宿を射ず。」

読み方「し、つり して あみ せず、よく して しゅくを いず。」

(意味)孔子は、釣りはするけれども網で魚をとることはせず、矢に糸をつけて飛ぶ鳥を射ることはするけれども巣で寝ている鳥を射ることはしない。

→ 孔子は、魚を大量にとったり、寝ている鳥を殺したりするのが忍びなかった。

魚や鳥にも命がある。それを大切にすることは、自分を大切にすることにもつながる。

世の中はすべてつながっていると考えた方がいい。






「蓋し知らずして之を作す者あらん。我は是なし。多く聞いてその善なる者を択んで之に従い、多く見て之を識すは之を知るの次なり。」

読み方「けだし しらず して これを なす もの あらん。われは これ なし。おおく きいて その ぜんなる ものを えらんで これに したがい、おおく みて これを しるすは これを しるの つぎなり。」

(意味)もしかすると道理を知らないで事をなす者があるかもしれない。私はそんなことはしない。多く情報を集め、その中で善なるものを択んでそれに従い、多く情報を集めて記憶し参考にするのは、道理を知るまではいかないまでも、その次のレベルではあるのだ。

→ 多くの情報を集めて取捨選択し、良いものに従えば、間違うことは少ない。

道理を知らないでことをなすのは、暗闇を灯り無しで歩くようなもの。

自ら情報を求めよう。絶対に成功したいと思うならば。






「互郷与に言い難し、童士見ゆ。門人惑う。子曰く、『人己を潔くして以て進まば、その潔きを与し、その進むを与し、その退くを与さず。唯何ぞ甚だしくせん。』

読み方「ごきょう ともに いいがたし、どうし まみゆ。もんじん まどう。し いわく、『ひと おのれを いさぎよく して もって すすまば、その いさぎよきを ゆるし、その おうを ほせず。その すすむを ゆるし、その しりぞくを ゆるさず。ただ なんぞ はなはだしく せん。」

(意味)互郷という土地は善をともに語れないような悪い風土だが、ある日そこの童子が来て孔子に面会した。門人達は、それはまずいのではないかと疑った。孔子は「人が心を潔くして進んでくるならば、その人が潔くしたことを許し、その人の以前の善悪を心に留めない。その人が進んで会いに来ることを許すばかりである。その人が退いて後にまた不善をなすことを許さない。どうしてそうひどく拒絶することがあろう。」

→ 人は一瞬で変わる。

だから、過去に悪い行いがあったとしても、今善に向かっているならばそれを尊重するべきだ。

過去は変えられないが、未来は変えられる。大きな心で人を受け入れよう。





「仁遠からんや。我仁を欲すれば斯に仁至る。』

読み方「じん とおからんや。われ じんを ほっすれば ここに じん いたる。」

(意味)仁は遠くにあるものではない。自分が欲しいと思えば、心の中に仁は至るものである。

→ 仁(相手の身になって考える心)は、自分がそうありたいと思えば、すぐに手に入る。

ところが、この世にあるがために、自分の命や身を守る方に先に目が行ってしまう。

「リーダーは、組織や集団を守っても、自分を守ってはならない」。そう決断しよう。






「子、人と歌うて善くば、必ず之を反せしめ、而る後に之に和す。』

読み方「し、ひとと うとうて よくば、かならず これを はんせしめ、しかる のちに これに わす。」

(意味)孔子が人と一緒に歌って、その人が上手であれば、必ずその歌を繰り返させて、その後に自分も歌ってこれに和する。

→ 人の長所をとりあげ、それと共に和することを喜ぶ。

この反対は、人の短所をとりあげ、それを批判することだ。

孔子は長所にフォーカスした。その方が、人の成長が早いことを知っていたのだろう。





「文は吾猶人の如くなること莫からんや。君子を躬行するは則ち吾未だ之を得ること有らず。』

読み方「ぶんは われ なお ひとの ごとく なる こと なからんや。くんしを きゅうこう するは すなわち われ いまだ これを うる こと あらず。」

(意味)文章は私も人並みにできないことはないだろう。しかし、君子たるべき行動は未だに十分にはできない。

→ 行動こそが重要だと孔子は言っているのだ。

言葉や文章は、どんなふうにでも言ったり書いたりできる。

しかし、行動はそうはいかない。毎日コツコツとやり続けるしかないのである。






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