ぶしどうマネジメントの指針集 『論語』より

参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

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「子路曰く、『子三軍を行らば則ち誰と与にする。』子曰く、『暴虎馮河、死して悔いなき者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨んで懼れ、謀を好んで成さん者なり。』」

読み方「しろ いわく、『し さんぐんを やらば すなわち たれと ともに する。』 し いわく、『ぼうこひょうが、しして くいなき ものは、われ ともに せざるなり。かならずや ことに のぞんで おそれ、はかりごとを このんで なさん ものなり』。」

(意味)子路は自分が勇気ある者なので、「先生が大国の軍隊を指揮して戦争をするならば、だれと一緒にしますか」と、きっと自分を指名されると思って尋ねたら、孔子は「武器なしで虎と戦ったり、船なしで大河を渡るような無謀なことをして死んでも後悔しないような者とは一緒にやらない。必ず事に当たって懼れ、謀を好んで成す者でなければならない」と言った。

→ 死を恐れないような者をリーダーに据えたら大変なことになる。

いかに兵士たちの命や軍の武器などを消耗せずに戦いに勝つかを深く考えるものでなければならぬ。

いたずらに突き進むものは、国や会社を破滅させるだけである。






「富にして求むべくば、執鞭の士と雖も吾亦之を為さん。如し求むべからずば、吾が好む所に従わん。」

読み方「とみに して もとむべくば、しつべんの しと いえども われ また これを なさん。もし もとむべからずば、わが このむ ところに したがわん。」

(意味)富が求めて手に入るものならば、王公の出入り時にムチをとって人を避けさせるような卑しい役の人にでもなって富を求めるが、もし富を得るのは天命によるもので人力では求められないものなら、自分が好む道に安んじているばかりである。

→ 富は求めるものでなく、結果として天から与えられるものである。

道に従って行動していれば、富や名誉や権力などを天が授けるのだ。

売上目標・利益目標などというが、それは結果目標に過ぎない。追いかけると道を誤る。






「子の慎む所は斉・戦・疾。」

読み方「しの つつしむ ところは さい ・ せん ・ しつ。」

(意味)孔子が特に慎むものは、神を祭ること、戦争をすること、病気に対することである。

→ 特に慎むとは、特に大切だと思ったものである。

人の精神、人の命、また、国家の存亡に関わることを上げている。

すべてリーダーが慎まねばならないものだ。あやまちがないように気をつけねばならない。






「子斉に在りて韶を聞く。三月肉の味わいを知らず。曰く、『図らざりき、楽を為すの斯に至らんとは。』」

読み方「し せいに ありて しょうを きく。さんげつ にくの あじわいを しらず。いわく、『はからざりき、がくを なすの ここに いたらんとは。』」

(意味)孔子が斉の国にいたとき、舜の作った韶という音楽を聞いた。三月の間も肉の味もわからないほど聞き入った。『思いがけないことだった。舜の音楽が善や美を尽くしていようとは』と言った。

→ 美しい調べには、人の心をなごませる善がある。

善は、言葉や人の行動以外にも、その結果としての制作物の中にも潜んでいる。

なにであっても、相手のことを思い、一所懸命に作ったものは、人の心を打つ。






「疏食を飯い、水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦その中に在り、不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。」

読み方「そしを くらい、みずを のみ、ひじを まげて これを まくらと す。たのしみ また そのうちに あり、ふぎに して とみ かつ とうときは、われに おいて ふうんの ごとし。」

(意味)粗末な飯を食い、お茶でなく水を飲み、ひじを曲げて枕とするような貧乏生活をしていても、楽しみはその中にある。義の結果ではない富と名誉は、浮雲のような不確かなものだ。

→ 貧しいか富んでいるかが重要なのではない。

義か不義かが重要なのだ。貧しくても、義にかなった行いをしていれば心は楽しい。

義にかなった富であれば、それをまた多くの人の役に立てられもっと楽しいに違いない。






「我に数年を加して、以て易を学ぶことを卒えしめば、以て大過なかるべし。」

読み方「われに すうねんを かして、もって えきを まなぶ ことを おえしめば、もって たいか なかるべし。」

(意味)天が私に数年の命を与えて、易を学ぶことを終えさせれば、大きな過ちをしないようになるだろう。

→ 易は、天と地の間の道理を網羅したものである。

道理を知り、道理に従って生きれば、間違うはずが無い。

不変の中に変化あり、変化の中に不変あり。法則にしたがって生きよう。






葉公孔子を子路に問う。子路対えず。子曰く、「女奚んぞ曰わざる、『その人となりや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘る。老いの将に至らんとするを知らず、爾云う。』と。」

読み方 しょうこう こうしを しろに とう。しろ こたえず。し いわく、「なんぢ なんぞ いわざる、『その ひととなりや、いきどおりを はっして しょくを わすれ、たのしみて もって うれいを わする。おいの まさに いたらんと するを しらず、しか いう。』と。」

(意味)葉公が孔子がどんな人物かを子路に質問したとき、子路はこたえなかった。孔子が言うには「あなたはどうしてこういわなかったのか。『その人物像は、道理がわからないと憤って食事をすることも忘れて研究に没頭し、道理がわかると楽しんで憂いのあることも忘れてしまいます。一心に学問を研究して、年をとるのも知らない、そういう人物に過ぎません』と。」

→ 孔子ほどの人物でも年をとるのも忘れて研究するほど、道理の研究を楽しんでいる。

食事するのを忘れるほど没頭できるものに出合った人は幸せだ。

一点突破、全面展開。ひとつに集中すれば、すべてがわかるように、世の中はできている。






「我は生まれながらにして之を知る者にあらず。古を好みて敏にして以て之を求むる者なり。」

読み方「われは うまれながらにして これを しる ものに あらず。いにしえを このみて びんに して もって これを もとむる ものなり。」

(意味)私は生まれながらにして道理を知っている者ではない。古人の教えを好み、休みなく急いで道理を求める者である。

→ 孔子は、自分が絶え間ない学習によって道理を知りえたことを伝えようとしている。

何かに秀でた者を「もともとの天分があった」と一言で片付けてはいけない。

天分を発見したことに加え、天分を磨く努力を惜しまなかったという部分を見逃してはならない。





「子怪・力・乱・神を語らず。」

読み方「し かい・りょく・らん・しんを かたらず。」

(意味)孔子は、奇怪なこと、勇力のこと、逆乱のこと、鬼神のことは、人と語らなかった。
※謝良佐が曰うには「聖人は、常を語って怪を語らない。徳を語って力を語らない。治を語って乱を語らない。人を語って神を語らない。

→ 語ってもしょうが無いことは、孔子は語らなかった。

人の世で大切なものを話題にし、多くの人が心を奪われる、大切でないものについては触れない。

つまり、非主流ではなく主流を大切にしたのだ。非凡なことである。






「三人行えば必ず我が師あり。その善なる者を択んで之に従い、その不善なる者は之を改む。」

読み方「さんにん おこなえば かならず わが し あり。その ぜんなる ものを えらんで これに したがい、その ふぜんなる ものは これを あらたむ。」

(意味)自分も含む3人で一緒に事を行えば、必ず他の2人は我が師である。1人の者が善ならばこれを択んで従い、1人が悪ならば自分の中にあるこれと同じ悪い点を改めるようにするのだ。

→ 良い者も悪い者も自分の師とすることができるのだ。

だから、悪いからといって冷たくすることは無い。逆に悪い点を教えてくれてありがとうと感謝しよう。

そういう気持ちでいれば、この世の者をみな自分の味方に付けることができるだろう。






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